We All Get Old - Naskin Diary

Yet Another My Life On The Web

3月11日の地震

何か書いておこうと思っていたけど怠けていたら1ヶ月も経ってしまった。

3月11日のはそんなに激しい揺れではなかったけど、とにかく長かった。横揺れが全然収まらない。個人的には小学1年の時の日本海中部地震の方が思い出補正も加わって激しかった印象。

揺れている最中に停電、翌日朝から断水。携帯は使えたのでツィッターで太平洋側の沿岸が酷いことになっていることを知る。

床暖房付きのストーブは停電で使えないので余っていた反射式ストーブを出して暖をとり湯を沸かした。電池が古くなっててライター(マッチだったかも)で着火したけどチャッカマンがあったら楽だったろう。親父が意外にも煙草を止めてしまったのでライターも残り僅かな物しか無かったのが幸い中の不幸?

部屋のファンヒーターも使えないので家族全員で居間でラジオを聞く午後。親戚・知人と電話・携帯メール等で無事を確認しあう。

晩飯は電気はなくてもプロパンガスが使えたので普通に調理して暗くなる前に食べた。まだ水も出たし。

夜は畑で使っていた小型の発電機に燃料が残っていたので裸電球と携帯の充電。

電気毛布が使えなくて冷たい布団は年寄りには厳しかったようで眠れなかったと言っていた。

翌朝、市の広報車が断水を告げて巡回し、水道も止まっていた。幸い、近所に井戸(家の人はスジと呼んでいた、清水の事らしい)があり、そこから汲んできた水で手洗い・食器洗い・炊事ができたので不便はなかった。

昼頃に仙台在住の学生時代の同級生からも無事との連絡が入りホッとする。

ツィッター経由で市内も電気・水道が復旧し始めている事を知り、もうすぐ復旧するなと思いながらラジオを聴いて夜を迎えた。

電気が復旧したのは20時頃、そこで初めて地震・津波の被害を映像で見る。

家の被害は風呂場のタイルが5枚ほど3日後に剥がれたくらい。一番の被害は便所(汲み取り式)の換気扇が停電で止まって臭いが部屋の方に漂ってくるのがキツかった。

その後はスーパー・コンビニの物不足、ガソリンスタンドの行列はあれどほぼ普通の生活に戻る。奥羽山脈の向こう側に比べたら遥かに緩い状況でした。